オシム前監督の戦術を継承し「日本人らしさ」を出すはずだった岡田監督だが、「日本人の考える日本人らしい戦術」は時間の経過とともに少しずつ変わっていくのだった。
サッカー 岡田監督 戦術とその変遷
岡田監督が「日本人の考える…」と言った時点でオシム前監督の目指す戦術とは根本から違っていたのかもしれない。
時間の経過とともに変わる岡田監督の戦術
カウンターや速攻は「サッカーで最も根本的な攻撃戦術」であり、オシム前監督は「日本代表はサッカーの基礎が全くできていない」と指摘したはずだった。
さらにオシム前監督の戦術を継承する場合、カウンターや速攻が重要な攻撃戦術だった。
サッカー後進国である日本代表がW杯で格上相手に勝ち上がるためには、カウンターや速攻が欠かせないことは誰が考えても当然だった。
しかし岡田監督は日本らしいサッカーに向けて「接近・展開・連続・(根性)」の理念を追求し、最終的に「ポゼッションサッカー」への転換を断行したことで、カウンターや速攻の選択肢がほぼ消えたのだった。
岡田監督は当時グラウディオラ監督が指揮するバルセロナのポゼッションサッカーを目指したが、日本代表にはポゼッションサッカーに必要な技術要素が不足していた。
目指すポゼッションサッカーと岡田監督の誤算
グアルディオラ監督のバルセロナが展開するポゼッションサッカーには、最低でも以下の要素が必要となる。
- 数的有利を作るラインコントロール
- ボールの高さに合わせたシステム変更
- 全体のコンパクトさ
- 全体でタイミングを合わせたポジショニング
- 流動的なポジションチェンジ
- 強く正確なパスとトラップ
- 1対1で負けない強さと速さ
日本代表は6以外の技術要素を持たない状態だったため、岡田監督は「日本人らしいポゼッションサッカー」を追求し出したのだ。
岡田監督の「日本人らしいサッカー」が行き着いた戦術
カウンターや速攻を捨て、結果としてすべての攻撃が遅攻となり、技術的要素と攻撃戦術がない日本人らしいポゼッションサッカーとなると、最後尾でずっとボールを回し続けるだけになった。
相手が現代のカテナチオと言われる二列の守備陣系を作るまで、ずっと最後尾のDF間でボールを回し続けて待っていた。
もちろんそこから効果的な攻撃なんてできたものではなかった。
2010年W杯南アフリカ大会のスタメン
2010年のW杯南アフリカ大会では、本田を中心としたゼロトップのシステムが採用された。
本田
大久保 松井
遠藤 長谷部
阿部
長友 闘莉王 中澤 駒野
川島
このシステムは、本田がゼロトップとして起用されつつも遠藤がトップ下にも加わる。
長谷部が遠藤と阿部のバランス取り、オシム前監督が言う慎重に守備的なポジションを取る「水運び人」の阿部は不動で闘莉王と中澤の間に入ることでシステム変更をイメージしている。