
2014年、メキシコ出身のハビエル・アギーレ監督が日本代表の指揮を執りました。
ブラジルワールドカップで失意のグループステージ敗退を経験した日本代表は、2018年ロシアワールドカップへ向けて新しいスタートを切る必要がありました。
そこで選ばれたのが、メキシコ代表やスペインのクラブで実績を積んできたアギーレ監督です。
アギーレ監督の日本代表は、短命に終わりました。
しかし、わずかな期間の中でも、4-3-3、縦に速い攻撃、可変システム、選手の競争、シンプルなカウンターといった要素を日本代表に提示しました。
それは、ザッケローニ監督時代の「俺たちのサッカー」とは明らかに違う方向性でした。
結論 アギーレ監督の最大の特徴は、4-3-3を土台に、シンプルで速い攻撃と可変的な配置を組み合わせ、日本代表に新しい戦術的可能性を見せたことです。
守備面では課題も残りましたが、攻撃面では「無駄なパスを減らし、奪ったら速く、前へ、ゴールへ向かう」という明確な方向性がありました。
この記事では、ハビエル・アギーレ監督の経歴、現役時代、日本代表での戦術、現在のメキシコ代表監督としての立場、そして日本サッカーに残した可能性を整理します。
- アギーレ監督とは?日本代表とメキシコ代表を率いた勝負師
- アギーレ監督の経歴年表
- 現役時代のポジションと特徴
- アギーレ監督はどこで何を作ったのか|戦術の変遷
- 日本代表監督就任|ザッケローニ後の日本に何をもたらしたのか
- アギーレ監督の基本戦術|4-3-3と可変システム
- 洗練された4-3-3攻撃|無駄なパスを減らし、縦へ進む
- アギーレ監督のサッカーは「日本人らしいサッカー」だったのか
- アギーレ監督の守備戦術|4-3-3のプレッシングとアンカー
- 日本人らしいサッカーの原型はすでにあった
- アギーレ監督が八百長疑惑で告発される
- 現在のアギーレ監督|メキシコ代表を率いる経験豊富な指揮官
- アギーレ監督から日本サッカーが学ぶべきこと
- アギーレ監督と他の日本代表監督の違い
- アギーレ監督の日本代表はなぜ惜しまれるのか
- まとめ|アギーレ監督は日本代表に何を残したのか
アギーレ監督とは?日本代表とメキシコ代表を率いた勝負師
ハビエル・アギーレ監督は、1958年生まれのメキシコ人指導者です。
現役時代はミッドフィルダーとしてプレーし、メキシコ代表としても活躍しました。
1986年メキシコワールドカップにも出場しており、選手としても代表経験を持つ人物です。
監督としては、メキシコ代表、オサスナ、アトレティコ・マドリード、サラゴサ、エスパニョール、日本代表、エジプト代表、マジョルカ、そして現在のメキシコ代表など、さまざまな国とクラブを率ってきました。
アギーレ監督を一言で表すなら、現実的に勝ち筋を探すメキシコ型の勝負師です。
華麗な理想論だけを語る監督ではありません。
走る、競う、守る、奪う、速く攻める。
そのうえで、相手や選手に合わせて形を変える柔軟性も持っています。
- 名前:ハビエル・アギーレ
- 生年月日:1958年12月1日
- 出身:メキシコシティ
- 国籍:メキシコ
- 現役時代のポジション:ミッドフィルダー
- 主な選手歴:クラブ・アメリカ、アトランテ、グアダラハラ、オサスナなど
- 主な監督歴:メキシコ代表、オサスナ、アトレティコ・マドリード、サラゴサ、エスパニョール、日本代表、エジプト代表、マジョルカ、メキシコ代表
- 代表的な戦術思想:4-3-3、縦に速い攻撃、可変システム、競争原理、守備からの速攻
- 日本での主な役割:ザッケローニ後の日本代表に、4-3-3とシンプルな縦への攻撃を提示
- 現在:メキシコ代表監督として北中米ワールドカップを戦う
アギーレ監督の経歴年表
アギーレ監督の記事を理解するには、メキシコ、スペイン、日本、再びメキシコという流れを時系列で見ると分かりやすいです。
特に日本代表での短い期間だけを見ると、アギーレ監督の本質は見えにくくなります。
メキシコ代表を複数回率い、スペインで残留争いや上位進出を経験し、現在もメキシコ代表を率っていることを踏まえると、アギーレ監督はかなり経験豊富な勝負師型の監督です。
- 1958年:メキシコシティに生まれる
- 1980年代:クラブ・アメリカ、アトランテ、グアダラハラなどでプレー
- 1986年:メキシコ代表としてワールドカップに出場
- 1995年:アトランテで監督キャリアを始める
- 1998年:パチューカを率い、メキシコ国内で評価を高める
- 2001年:メキシコ代表監督に就任
- 2002年:日韓ワールドカップでメキシコ代表をベスト16へ導く
- 2002年:オサスナの監督に就任
- 2005年:オサスナをコパ・デル・レイ準優勝へ導く
- 2006年:オサスナをラ・リーガ4位へ導き、欧州で評価を高める
- 2006年:アトレティコ・マドリードの監督に就任
- 2009年:再びメキシコ代表監督に就任
- 2010年:南アフリカワールドカップでメキシコ代表を率いる
- 2010年:レアル・サラゴサの監督に就任
- 2012年:エスパニョールの監督に就任
- 2014年:日本代表監督に就任
- 2015年:日本代表監督を解任
- 2015年以降:アル・ワフダ、エジプト代表、レガネス、モンテレイ、マジョルカなどを指揮
- 2024年:三度目となるメキシコ代表監督に就任
- 2026年:北中米ワールドカップでメキシコ代表を率いる
現役時代のポジションと特徴
アギーレ監督の現役時代のポジションは、ミッドフィルダーです。
メキシコ代表として国際舞台を経験し、1986年ワールドカップにも出場しています。
ミッドフィルダー出身の監督らしく、チーム全体のバランス、守備から攻撃への切り替え、ボールを奪った後の判断を重視する印象があります。
アギーレ監督のサッカーは、単に前線のタレントに任せるものではありません。
中盤で競り、奪い、速く前へ出る。
選手が自分の役割を理解し、チームとして動く。
このあたりに、現役時代からピッチ中央で戦ってきた監督らしさが見えます。
ミッドフィルダーは、攻撃と守備の両方に関わるポジションです。
アギーレ監督が「走る」「競う」「守る」「速く攻める」という要素を重視するのは、ピッチ中央で試合の流れを感じてきた経験ともつながっているように感じます。
アギーレ監督はどこで何を作ったのか|戦術の変遷
アギーレ監督を監督データベース型の記事として見るなら、「いつ、どこで、何を作ったのか」を整理することが重要です。
日本代表での4-3-3だけを見ると短命な印象が強くなりますが、キャリア全体で見ると、アギーレ監督はメキシコとスペインを行き来しながら、現実的なチーム作りを積み重ねてきた監督です。
- パチューカ時代:メキシコ国内で勝負強いチームを作り、監督として評価を高める。
- メキシコ代表第1期:2002年ワールドカップへ向け、メキシコらしい技術と粘り強さを整理する。
- オサスナ時代:限られた戦力でラ・リーガ上位へ進出し、守備、運動量、縦への速さを組み合わせる。
- アトレティコ・マドリード時代:より大きなクラブで、守備と攻撃のバランス、欧州カップ戦を見据えた現実的な戦い方を経験する。
- 日本代表時代:4-3-3を基本に、可変システム、縦に速い攻撃、競争原理を日本代表に提示する。
- マジョルカ時代:久保建英も在籍したチームで、残留争いを戦う現実的なチーム管理を行う。
- メキシコ代表第3期:北中米ワールドカップへ向け、開催国メキシコを率いる経験豊富な勝負師として再登板する。
日本代表監督就任|ザッケローニ後の日本に何をもたらしたのか
2014年ブラジルワールドカップで、日本代表はグループステージ敗退に終わりました。
ザッケローニ監督時代の日本代表は、4-2-3-1を軸に、香川真司、本田圭佑、岡崎慎司、遠藤保仁、長谷部誠らを中心とした攻撃的なチームでした。
しかし、世界大会では守備の強度、切り替え、縦への速さ、試合運びの部分で課題を残しました。
その後に就任したアギーレ監督は、前体制の延長ではなく、明確にチームを変えようとしていたように見えます。
前代表で主力だった選手をそのまま固定するのではなく、幅広い選手を試し、競争を促しました。
これは「戦術に合わない選手は、名前があっても外す」というメッセージにも見えました。
転換点 アギーレ監督は、ザッケローニ後の日本代表に、4-3-3、競争原理、縦に速い攻撃という新しい方向性を持ち込みました。
アギーレ監督の基本戦術|4-3-3と可変システム
アギーレ監督の日本代表で最も分かりやすい特徴は、4-3-3です。
ただし、単純な4-3-3ではありません。
攻撃時にはアンカーが最終ラインに落ち、サイドバックが高い位置を取ることで、3バックのような形に変化します。
この可変性は、当時の日本代表にとってかなり新鮮でした。
今でこそ、アンカーがセンターバック間に落ちる、サイドバックが高い位置を取る、ビルドアップ時に3バック化するという考え方は一般的です。
しかし、2014年当時の日本代表でそれを明確に導入しようとした点は、アギーレ監督の大きな特徴だったと思います。
4-3-3の基本配置
岡崎
武藤 本田
香川 柴崎
細貝
長友 森重 塩谷 酒井高
西川
この形では、前線に3枚を置き、中盤はアンカー+インサイドハーフ2枚で構成されます。
アンカーは守備時のバランス役であり、攻撃時にはビルドアップの逃げ道にもなります。
インサイドハーフには、前線へ関わる攻撃参加と、中盤での守備の両方が求められます。
ウイングは幅を取りながら、ゴールへ向かう役割を担います。
攻撃時は3-4-3に近い形へ変化する
アギーレ監督の4-3-3で面白かったのは、攻撃時に形が変わることです。
アンカーがセンターバックの間、または最終ライン付近に落ちることで、後方が3枚になります。
同時に、両サイドバックが高い位置を取り、相手のサイドを押し込む形になります。
岡崎
武藤 本田
香川 柴崎
長友 酒井高
森重 細貝 塩谷
西川
この可変により、後方ではビルドアップの安定を作り、前方ではサイドバックが幅を取れます。
ウイングは内側へ入ることもでき、インサイドハーフと連動して中央へ関わることもできます。
つまり、アギーレ監督の4-3-3は、単なるフォーメーション変更ではなく、攻撃時と守備時で役割が変わるシステムだったのです。
実際には4-2-3-1に戻る場面もあった
ただし、実際の試合では、完全に4-3-3が機能し続けたわけではありません。
日本代表には、ザッケローニ時代から続く4-2-3-1の感覚が残っていたようにも見えました。
香川や本田が中央に入り、ダブルボランチ気味になり、前線の形が4-2-3-1に近づく場面もありました。
岡崎
武藤 香川 本田
細貝 柴崎
長友 森重 塩谷 酒井高
西川
これは悪いことばかりではありません。
選手が慣れた形でプレーしやすくなる面もあります。
しかし、アギーレ監督が目指した4-3-3の可変性を考えると、チームとして完全に新しい形へ移行するには時間が必要だったとも言えます。
洗練された4-3-3攻撃|無駄なパスを減らし、縦へ進む
アギーレ監督の攻撃で印象的だったのは、無駄なパス回しを減らし、縦への直接的な攻撃を意識していたことです。
ザッケローニ時代の日本代表は、ボールを持つ時間が長く、パスワークで相手を崩すことを重視していました。
しかし、時にはボールを持っているだけで、ゴールへ向かう迫力を欠く場面もありました。
アギーレ監督の日本代表は、そこを変えようとしていたように見えます。
ボールを奪ったら、まず前を見る。
チャンスがあれば、少ない手数でゴールへ向かう。
スルーパス、サイド攻撃、ショートカウンター、前線からの守備。
その選択肢が整理されていました。
- ボールを奪ったら前を見る
- 縦に入れられる時は素早く入れる
- 無駄な横パスを減らす
- サイドバックを高い位置に押し上げる
- ウイングとインサイドハーフが連動する
- ショートカウンターで相手の守備が整う前に攻める
- シュートまで行く意識を高める
この方向性は、日本代表にとってかなり重要でした。
なぜなら、日本はボールを持てるようになっても、ゴール前で決断が遅くなることが多かったからです。
アギーレ監督は、その部分にメスを入れようとしていたのではないでしょうか。
関連して、速攻戦術については以下の記事でも整理しています。
アギーレ監督のサッカーは「日本人らしいサッカー」だったのか
アギーレ監督は、オシム監督のように「日本人らしさ」や「日本化」という言葉を前面に出した監督ではありません。
しかし、試合を見る限り、アギーレ監督の日本代表には「日本人らしいサッカー」の一つの形が見えていたように感じます。
ボールを大切にする。
しかし、無駄には回さない。
全員が攻撃に関わる。
しかし、前へ行ける時は速く行く。
可変システムで配置を変える。
しかし、基本はシンプルにゴールへ向かう。
このバランスは、日本代表に合っていたように思います。
日本化 アギーレ監督の日本代表は、ボールを持つ日本と、縦に速く攻める日本をつなごうとしていたチームだったのかもしれません。
ティキタカではなく、攻撃するためのポゼッション
アギーレ監督の日本代表は、スペイン的なパスサッカーの影響を感じる部分もありました。
ただし、ただボールを保持することを目的にしていたわけではありません。
むしろ、無駄なパスを減らし、攻撃できるタイミングでは確実にシュートまで結びつける意識がありました。
ボールを持つことは手段であって、目的ではありません。
相手を動かし、スペースを作り、前線へ入れ、最後はゴールへ向かう。
この考え方は、日本代表が今後も大切にすべき部分だと思います。
アギーレ監督の守備戦術|4-3-3のプレッシングとアンカー
アギーレ監督の日本代表は、攻撃面で4-3-3と縦に速い攻撃を取り入れましたが、守備にも明確な考え方がありました。
基本となった4-3-3では、中盤の底にアンカーを置き、その前に2人のインサイドハーフを配置します。
アンカーは最終ラインの前で中央を守り、インサイドハーフは前線と連動しながら相手へプレッシャーを掛けます。
実際にアギーレ監督は、守備練習でプレッシングを始めるタイミングと、周囲の選手が連動して動くことを確認していました。
つまり、一人が相手を追い回すのではなく、前線が相手のパスコースを限定し、それに合わせて中盤と最終ラインも動く守備を作ろうとしていたのです。
アギーレ監督の守備 前線から相手のパスコースを限定し、中盤が連動してプレッシャーを掛け、アンカーが最終ラインの前を守る。
しかし、この守備には難しさもありました。
当時の吉田麻也選手も、アンカーがいることでディフェンスラインが深くなりやすいため、ずるずると下がらないことが重要だと話しています。
前線がプレッシャーを掛けても、最終ラインが低い位置に残れば、前線、中盤、最終ラインの距離は広がります。
すると、中盤の選手は広いスペースを走って埋めなければなりません。
守備の課題|マンツーマン的な根性プレスとライン管理
アギーレ監督の日本代表には、守備面でまだ課題もありました。
攻撃面では明確な方向性を感じましたが、守備ではまだマンツーマン的な根性プレスの色が残っていたように見えます。
前から相手を追い、マークする選手についていき、個々の運動量や頑張りで局面を補う場面が残っていました。
しかし、チーム全体としてラインをどこに置き、どのスペースを消し、どこへ相手を誘導するかという部分は、まだ整理途中でした。
2005年にオフサイドルールが変わった後、世界では一度ラインコントロールの難しさが増しました。
しかし、2010年代に入ると、強豪クラブでは再びラインを上げ、チーム全体をコンパクトに保つ守備が重要になっていきます。
日本代表も、その流れに乗る必要がありました。
ザッケローニ監督の守備戦術を習得していれば
個人的には、ザッケローニ監督時代にカテナチオ的なエリア守備やライン管理をもっと深く習得できていれば、アギーレ監督の攻撃と組み合わせられたのではないかと思っています。
守備ではザッケローニ監督のエリア管理。
攻撃ではアギーレ監督の縦に速い4-3-3。
この二つが組み合わされば、日本代表はかなり面白いチームになっていたかもしれません。
しかし実際には、守備はまだマンツーマン的な根性プレスに寄る場面があり、ラインの裏を取られてカウンターを受ける場面もありました。
マンツーマンマークの場合、相手FWが下がれば味方DFもついていきやすく、ラインが乱れます。
逆に相手FWが高い位置を取れば、DFラインが下がり、その前のスペースが空くこともあります。
そのスペースに相手のトップ下やインサイドハーフが入り、スルーパスを通される。
この構造は、日本代表が長く抱えてきた守備の課題でもあります。
日本人らしいサッカーの原型はすでにあった
守備ではザッケローニ監督のカテナチオ的な整理。
攻撃ではアギーレ監督の洗練された4-3-3と縦に速い攻撃。
そして、その前にはオシム監督が提示した「考えて走るサッカー」がありました。
この流れを見ると、日本代表はすでに2010年代前半の時点で、かなり面白い戦術的材料を持っていたことが分かります。
- トルシエ監督:組織、システム、規律を日本代表に強く意識させた
- ジーコ監督:選手の自主性と個の力に期待した
- オシム監督:日本人の特徴を戦術に変えようとした
- 岡田監督:現実的な守備と日本人らしさを模索した
- ザッケローニ監督:4-2-3-1と攻撃的なポゼッションを整理した
- アギーレ監督:4-3-3、可変システム、縦に速い攻撃を提示した
これらをうまく積み上げられていれば、日本代表の戦術はもっと早く進化していた可能性があります。
しかし、監督交代のたびに前の戦術が断ち切られ、積み上げが途切れてしまうことも多くありました。
アギーレ監督の短命政権も、その一つだったと思います。
アギーレ監督が八百長疑惑で告発される
アギーレ監督の日本代表は、戦術的には非常に興味深いチームでした。
しかし、その挑戦は突然終わることになります。
スペイン時代のレアル・サラゴサで、2010-11シーズン最終節のレバンテ対サラゴサ戦をめぐる八百長疑惑が浮上し、アギーレ監督も告発の対象となりました。
この件を受けて、日本サッカー協会は2015年2月3日にアギーレ監督との契約を解除しました。
日本代表が2018年ワールドカップ予選へ向かう前に、チームへ影響が出ることを避ける判断だったと考えられます。
日本代表監督としては約7カ月で終了
アギーレ監督は、2014年に日本代表監督へ就任し、2015年2月に解任されました。
期間としては、わずか約7カ月です。
その短い期間の中で、選手を試し、4-3-3を導入し、攻撃の方向性を変えようとしていました。
だからこそ、ここで終わってしまったことは非常にもったいなかったと思います。
その後、無罪判決が下る
その後、スペインでの裁判では、アギーレ監督はこの件について無罪となりました。
疑惑の段階で日本代表監督の職を失い、数年後に無罪となった。
この流れを見ると、結果的には非常に複雑な出来事だったと言えます。
もちろん、日本代表を率いる立場として、当時の日本サッカー協会がリスクを避けたことにも理解はできます。
しかし、戦術的な観点で言えば、アギーレ監督の日本代表がどこまで進化したのかを見られなかったことは、今でも惜しまれます。
現在のアギーレ監督|メキシコ代表を率いる経験豊富な指揮官
アギーレ監督は、日本代表を離れた後も監督キャリアを続けています。
アル・ワフダ、エジプト代表、レガネス、モンテレイ、マジョルカなどを率い、その後ふたたびメキシコ代表監督に就任しました。
2026年の北中米ワールドカップでは、開催国の一つであるメキシコ代表を率いています。
これは、アギーレ監督にとって非常に大きな意味を持つ仕事です。
メキシコ代表は、ワールドカップで継続的に決勝トーナメントへ進む力を持ちながら、ベスト8以上の壁に苦しんできた国です。
そのメキシコを、自国開催の大会でどこまで導けるのか。
アギーレ監督の経験、勝負強さ、現実的なチーム作りが問われています。
現在地 アギーレ監督は現在、メキシコ代表を率い、自国開催を含む北中米ワールドカップで結果を求められる立場にいます。
メキシコ代表で求められるもの
メキシコ代表は、技術、球際、スピード、闘争心を持つチームです。
しかし、世界の強豪国相手に勝ち切るには、試合運び、守備の安定、決定力、そして大会での冷静さが必要になります。
アギーレ監督に求められているのは、メキシコらしい勢いを消さずに、勝ち上がるための現実的な整理を加えることです。
これは、日本代表時代に見せようとしていた方向性とも少し重なります。
選手の特徴を活かしながら、前へ速く、チームとしてまとまり、必要な場面では守る。
アギーレ監督は、メキシコでもそのバランスを探しているのだと思います。
アギーレ監督から日本サッカーが学ぶべきこと
アギーレ監督の日本代表は短命でした。
しかし、そこから学べることは多いです。
- ボールを持つだけではなく、ゴールへ向かうことが重要
- 4-3-3は配置ではなく、役割と可変性で見る必要がある
- アンカーの使い方でビルドアップの形は大きく変わる
- サイドバックの高さが攻撃の幅を作る
- 縦に速い攻撃とポゼッションは両立できる
- 競争原理を入れなければ代表チームは停滞する
- 守備のライン管理とエリア管理がなければ攻撃的サッカーは安定しない
特に重要なのは、ポゼッションと速攻を対立させないことです。
ボールを持つことも大切です。
しかし、相手の守備が崩れているなら、速く攻めるべきです。
相手が整っているなら、ボールを動かして崩すべきです。
この判断をチームとして共有できるかどうか。
アギーレ監督の日本代表は、その方向へ進もうとしていたように見えました。
アギーレ監督と他の日本代表監督の違い
日本代表の戦術史の中で、アギーレ監督は非常に短い期間しか指揮を執っていません。
しかし、その短さに反して、戦術的にはかなりはっきりした色を持っていました。
トルシエ監督はシステムと規律。
ジーコ監督は個人の自主性。
オシム監督は考えて走るサッカー。
岡田監督は現実的な日本人らしさ。
ザッケローニ監督は4-2-3-1と攻撃的ポゼッション。
アギーレ監督は、その流れの中で、4-3-3、可変システム、縦への速さを提示した監督だったと思います。
- トルシエ監督:システムと規律を日本に持ち込んだ監督
- ジーコ監督:個人の力と自主性に期待した監督
- オシム監督:日本人の特徴を戦術に変えようとした監督
- 岡田監督:現実的な戦い方と日本人らしさを探した監督
- ザッケローニ監督:4-2-3-1を軸に攻撃的な代表を作った監督
- アギーレ監督:4-3-3と可変システム、縦に速い攻撃を提示した監督
アギーレ監督の日本代表はなぜ惜しまれるのか
アギーレ監督の日本代表が惜しまれる理由は、結果を出し切る前に終わってしまったからです。
もちろん、すべてが完璧だったわけではありません。
守備のライン管理には課題がありました。
4-3-3も完全には浸透していませんでした。
選手の配置や役割にも、まだ試行錯誤がありました。
それでも、攻撃の方向性はかなり明確でした。
無駄なパスを減らす。
縦へ速く進む。
アンカーを使ってビルドアップを変える。
サイドバックを高く上げる。
選手間の競争を促す。
これは、日本代表にとって必要な変化だったと思います。
未完 アギーレ監督の日本代表は、完成形ではありませんでした。しかし、完成を見る前に終わってしまったからこそ、今でも惜しまれるチームです。
まとめ|アギーレ監督は日本代表に何を残したのか
ハビエル・アギーレ監督は、日本代表で長く指揮を執った監督ではありません。
就任から解任までの期間は短く、チーム作りは未完成のまま終わりました。
しかし、その短い期間の中で、アギーレ監督は日本代表にいくつかの重要な問いを残しました。
日本代表は、ボールを持つだけで良いのか。
もっと縦に速く攻めるべきではないのか。
4-3-3を使うなら、アンカーとサイドバックをどう動かすべきなのか。
ポゼッションとカウンターをどう両立するのか。
守備のライン管理をどう整えるのか。
代表チームに競争原理をどう入れるのか。
これらの問いは、今の日本代表にもつながっています。
- アギーレ監督はメキシコ出身の名将
- 現役時代はミッドフィルダーとしてプレーした
- メキシコ代表として1986年W杯に出場した
- 監督としてメキシコ代表、オサスナ、アトレティコ、日本代表などを率いた
- 日本代表では4-3-3を基本システムにした
- 攻撃時にはアンカーが落ちて3バック化する可変システムを提示した
- 無駄なパスを減らし、縦に速い攻撃を意識させた
- 守備面ではライン管理やエリア守備に課題も残した
- 八百長疑惑の影響で短期間で解任されたが、後に無罪となった
- 現在はメキシコ代表監督として北中米ワールドカップを戦っている
アギーレ監督の日本代表は、未完成でした。
しかし、未完成だったからこそ、もう少し見てみたかったチームでもあります。
ザッケローニ監督時代のポゼッションに、アギーレ監督の縦への速さと可変システムが加わっていたら。
さらに守備のライン管理やエリア守備が整っていたら。
日本代表は、もっと早い段階で現代的な戦術へ進めていたかもしれません。
短い期間で終わったとはいえ、アギーレ監督は日本代表の戦術史において、忘れてはいけない監督の一人です。