
2006年ワールドカップ・ドイツ大会が終わると、日本代表監督にイビチャ・オシム氏が就任しました。
当時のオシム監督は、ジェフユナイテッド市原・千葉で強い存在感を放っていた監督です。
限られた戦力のチームを、選手自身が状況を見て、考え、判断し、必要な場所へ走るチームへ変え、2005年にはナビスコカップ優勝へ導いていました。
個人的な話をすると、大学同期の友人がジェフユナイテッド千葉の熱心なサポーターでした。
日本代表監督就任の話が出た時、その友人が複雑な表情で「納得できない」と話していたのを今でも覚えています。
当時は、日本代表に世界的な名将が来ることを前向きに受け止めていました。
しかし今振り返ると、ジェフのサポーターにとってオシム監督は、単なる指揮官ではなかったのだと思います。
クラブの考え方、選手の判断、そしてサッカーそのものを変えた存在だったからです。
結論 オシム監督の最大の特徴は、選手に答えを与えるのではなく、自分で状況を見て、考え、判断し、必要な場所へ走ることを求めた点にあります。
単に走るだけではありません。単に守るだけでもありません。相手、味方、ボール、スペース、試合状況を見ながら、何をするべきかを選手自身が判断する。それが、オシム監督のサッカーを理解する重要な出発点です。
- オシム監督は旧ユーゴスラビア代表を1990年W杯ベスト8へ導いた名将です。
- ジェフ千葉では、選手自身が考え、判断し、走るチームを作りました。
- 2005年にはジェフ千葉をナビスコカップ優勝へ導きました。
- 日本人について、体の小ささ、器用さ、中長距離を走る力などに注目していたことが、以前の記事にも記録されています。
- 当たりの強さだけを追求するのではなく、日本人が持っている特徴をどうサッカーへ活かすのかを考えていました。
- カウンター、ポゼッション、ポリバレントなど、一つの戦術だけに限定されない監督でした。
- 2007年11月に脳梗塞で倒れ、日本代表での挑戦は未完に終わりました。
この記事では、イビチャ・オシム監督の経歴、現役時代、ジェフ千葉、日本代表で何を目指したのか、そして日本人選手をどう見ていたのかを整理します。
カウンター、ポゼッション、トータルフットボール、ラインコントロールなどの細かな戦術については、必要な場所から専門記事へリンクします。
- オシム監督とは?日本代表に戦術の未来を見せた名将
- ジェフ千葉時代|オシム監督は日本で何を作ったのか
- オシム監督は日本人選手をどう見ていたのか
- 日本代表監督就任|ジーコ後の日本に何をもたらしたのか
- オシム監督の戦術|細かな仕組みより何を目指したのか
- オシム監督は日本人の特徴をどう戦術に変えようとしたのか
- アジアカップ2007|猛暑の中で見せたポゼッションへの変化
- オシム監督の基本システム|配置より選手の判断を見る
- ラインコントロールと日本代表の未完成感
- オシム監督はどこで何を作ったのか|戦術の変遷
- オシム監督の名言と哲学|答えではなく問いを与える
- 映像で振り返るオシム監督の言葉と日本代表
- なぜオシム監督の日本代表は未完に終わったのか
- オシム監督から日本サッカーが学ぶべきこと
- オシム監督と他の日本代表監督の違い
- なぜオシム監督に惹かれたのか
- まとめ|オシム監督は日本代表に何を残したのか
オシム監督とは?日本代表に戦術の未来を見せた名将
イビチャ・オシム監督は、1941年5月6日にサラエボで生まれた、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の元サッカー選手・指導者です。
旧ユーゴスラビア代表としてプレーし、現役時代は攻撃的ミッドフィールダーやフォワードに近い位置で活躍しました。
引退後は、旧ユーゴスラビア代表、パルチザン、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツ、ジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表などを率いました。
1990年ワールドカップでは旧ユーゴスラビア代表をベスト8へ導いています。
オシム監督を一言で表すなら、選手に考えさせる監督です。
監督が答えをすべて与えるのではなく、選手自身が状況を読み、判断し、走り、選ぶ。
その積み重ねによって、チーム全体が動いていく。
それが、オシム監督のサッカーだったと思います。
- 名前:イビチャ・オシム
- 生年月日:1941年5月6日
- 出身:サラエボ
- 国籍:ボスニア・ヘルツェゴビナ
- 現役時代のポジション:攻撃的ミッドフィルダー、フォワード寄りの中盤
- 主な監督歴:旧ユーゴスラビア代表、パルチザン、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツ、ジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表
- 日本での主な実績:ジェフ千葉で2005年ナビスコカップ優勝、日本代表監督就任
- この記事で扱う主なテーマ:考えて走るサッカー、状況判断、ポリバレント、日本人選手の特徴、カウンター、ポゼッション
オシム監督の経歴年表
| 西暦 | チーム・出来事 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1941年 | サラエボに生まれる | 旧ユーゴスラビア時代のサラエボで誕生 |
| 1960年代 | 旧ユーゴスラビア代表 | 攻撃的な選手として代表でもプレー |
| 1970年代 | フランスなどでプレー | 欧州で選手生活を送る |
| 1978年 | 現役引退 | 指導者としての道へ進む |
| 1986年 | 旧ユーゴスラビア代表監督 | 多様な背景を持つ選手たちを率いる |
| 1990年 | イタリアW杯 | 旧ユーゴスラビア代表をベスト8へ導く |
| 1990年代 | 欧州クラブを指揮 | パルチザン、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツなどを率いる |
| 2003年 | ジェフユナイテッド市原 | 日本での監督生活を開始 |
| 2005年 | ナビスコカップ優勝 | ジェフ千葉にクラブ史上初の主要タイトルをもたらす |
| 2006年 | 日本代表監督就任 | ドイツW杯後の日本代表を引き継ぐ |
| 2007年 | アジアカップ4位 | 日本代表を率いてアジアカップに出場 |
| 2007年11月 | 脳梗塞で倒れる | 日本代表監督としての挑戦が途中で終わる |
| 2022年 | 逝去 | 世界のサッカー界から追悼された |
現役時代のポジションと特徴
オシム監督の現役時代は、攻撃的なミッドフィールダー、あるいはフォワードに近い位置でプレーする選手でした。
背が高く、技術を持ち、攻撃に関わる選手でした。
ここで注意したいのは、監督としての思想を、現役時代のプレースタイルから簡単に断定しないことです。
「選手時代から考えるサッカーをしていたから、監督としても選手に考えさせた」と結論づけることはできますが、それは事実そのものではなく、後から見た分析になります。
事実:オシム監督は攻撃的ミッドフィールダーやフォワードに近い位置でプレーし、旧ユーゴスラビア代表にも選ばれました。
この記事での分析:選手としてピッチ全体を見ながら攻撃に関わった経験が、後の監督としてのサッカー観にも何らかの影響を与えた可能性はあります。ただし、それを本人の発言として断定はしません。
ジェフ千葉時代|オシム監督は日本で何を作ったのか
オシム監督が日本サッカーに強烈な印象を残したのは、まずジェフユナイテッド市原・千葉時代です。
2003年に監督へ就任すると、当時決して巨大クラブではなかったチームを、選手が走り、考え、状況によって役割を変えるチームへ変えていきました。
ジェフはスター選手を大量に集めたチームではありません。
だからこそ、一人の選手だけに頼るのではなく、選手同士が状況を見ながら動き、空いた場所を使い、別の選手がそこを補う必要がありました。
その中でオシム監督を象徴する言葉となったのが、「考えて走るサッカー」です。
考えて走るサッカーとは何か
「考えて走るサッカー」は、単に走行距離を増やすという意味ではありません。
走るべき場所を判断する。
味方を助けるために走る。
相手を動かすために走る。
ボールを持っていない時に何をするかを考える。
攻撃から守備へ変わった瞬間に、次に必要な行動を選ぶ。
このような判断を伴う走りが重要でした。
本質 オシム監督の「走る」は、単純な根性論ではなく、状況判断を伴う戦術的な走りとして考える必要があります。
ポリバレントな選手を求めた
オシム監督のチームでは、選手が一つのポジションだけに固定されるわけではありませんでした。
複数の役割をこなし、状況に応じて立ち位置を変え、味方の動きに合わせて自分の仕事も変える。
そのために重要になったのが、ポリバレントという考え方です。
一人の選手が複数のポジションや役割を理解し、試合状況に応じて異なる仕事を担えることを指します。
ただ便利に複数ポジションをこなせばいいわけではありません。
今、どこに立つべきなのか。
味方が動いたことで、どこが空いたのか。
攻撃から守備へ変わった時に、誰がどこを埋めるのか。
こうした状況判断が必要です。
- 選手自身が状況を見る
- 判断して必要な場所へ走る
- 複数の役割を理解する
- 味方の動きによって自分の役割を変える
- 攻撃と守備を切り離さずに考える
- 限られた戦力でもチーム全体で相手を上回る
オシム監督は日本人選手をどう見ていたのか
今回の記事で最も慎重に整理したいのが、この部分です。
以前の記事では、オシム監督が日本人の「協調性」を高く評価し、それを戦術へ変えようとしたように書いていました。
しかし、今回あらためて記事を見直すにあたり、「協調性」をオシム監督本人の評価として扱うのはやめます。
2015年に書いた以前の記事に残っていた、オシム監督から見た日本の特徴は次のようなものでした。
- 外国人選手と比較した時の体の小ささ
- 器用さ
- 当たりの強さだけを追求したものではない
- アジア人が得意とする中長距離を活かす
- どのような状況では、どのような攻防をするのかを考える
ここから見えてくるのは、単純に、
「日本人は体が小さいから走ればいい」
という話ではありません。
体が小さい。
器用さがある。
中長距離を走る力を活かせる。
それなら、その特徴を試合のどこで使うのか。
どのような状況で攻めるのか。
どのような状況で守るのか。
いつ走るのか。
どこへ走るのか。
それをサッカーの戦術へ変えることが重要になります。
重要 オシム監督の記事で重要なのは、「日本人は○○だから強い」と性格を決めつけることではなく、日本人選手が実際に持つ身体的・技術的特徴を、試合の中でどう使うのかを考えることです。
少なくとも、この記事では今後、「協調性」をオシム監督本人が日本人に対して使った評価としては扱いません。
日本代表監督就任|ジーコ後の日本に何をもたらしたのか
2006年ワールドカップ・ドイツ大会で、日本代表は大きな失望を味わいました。
ジーコ監督のもとで、選手の自主性や個人の力に期待するチーム作りを進めましたが、グループリーグで敗退。
改めて、日本代表には何が必要なのかが問われました。
そこで登場したのがオシム監督です。
当時の自分にとって、オシム監督はトルシエ監督以来、唯一、
「これが新しい日本代表の戦術かもしれない」
と未来を感じさせてくれた監督でした。
ここは事実ではなく、私自身が当時感じたことです。
ただシステムを並べるだけではない。
ただ選手に任せるだけでもない。
選手自身が相手を見て、味方を見て、状況によって判断する。
走るべき時に走る。
ボールを奪ったら、相手が守備を整える前にゴールへ向かう。
必要ならボールを持って相手を動かす。
試合を見るたびに、違うサッカーの考え方を教えられているような感覚がありました。
オシム監督の戦術|細かな仕組みより何を目指したのか
オシム監督の戦術を一つのフォーメーションだけで説明するのは難しいです。
4-4-2。
4-2-3-1。
カウンター。
ポゼッション。
ポリバレント。
全員が攻守に関わるサッカー。
試合や相手、選手によってさまざまな形を使っていました。
ここでは細かな戦術をすべて説明するのではなく、オシム監督が何を目指していたのかに絞ります。
状況を見て、自分で判断する
オシム監督のサッカーでは、監督から与えられた一つの答えを繰り返すだけでは足りません。
相手が変われば、状況も変わります。
味方が動けば、空いているスペースも変わります。
ボールを奪った場所によって、次の攻撃も変わります。
だから選手自身が見なければならない。
考えなければならない。
判断しなければならない。
そして必要なら走らなければならない。
「考えて走る」の順番が重要です。走ってから考えるのではなく、状況を見て、その場面で必要な走りを選ぶ。
カウンターでは最小の手数でゴールを目指す
個人的に印象に残っているのは、オシム監督がカウンターについて語っていた場面です。
「ボールを奪った瞬間、最小の手数で相手ゴールを目指す」
この言葉を聞いた時、
「日本代表は最も基本的なカウンターすら整理できていなかったのか」
と感じたのを覚えています。
これは当時の私自身の感想です。
カウンターは単に前へ蹴ることではありません。
ボールを奪った瞬間に、誰が走るのか。
誰がボールを運ぶのか。
誰が相手を引きつけるのか。
どこにスペースがあるのか。
こうした詳細は、戦術の専門記事で扱います。
相手からボールを奪った後、相手の守備が整う前のスペースを利用してゴールへ向かう攻撃です。単に速く前へ蹴るのではなく、奪った場所、相手の残り方、味方の位置によって方法は変わります。
トータルフットボールに近い部分
以前の自分は、オシム監督のサッカーを、少し古い言い方をすればトータルフットボールに近いと考えていました。
全員が攻撃に関わる。
全員が守備に関わる。
一人が動けば、別の選手が空いた場所を使う。
選手が一つの場所に固定されない。
こうした部分には共通点があります。
ただし、オシム監督のサッカーと1970年代のオランダ代表やアヤックスのトータルフットボールを、完全に同じものとして扱うべきではありません。
ここは、戦術的な共通点を見た私自身の分析です。
選手が固定されたポジションだけに縛られず、一人が動いた場所を別の選手が補いながら、チーム全体で攻撃と守備を行う戦術思想です。
オシム監督は日本人の特徴をどう戦術に変えようとしたのか
オシム監督の記事で最も大事にしたいのは、ここです。
オシム監督は、日本人選手を欧州の選手と同じ身体能力に変えようとしたわけではありません。
以前の記事に残っていた評価を見ると、注目していたのは、体の小ささ、器用さ、中長距離を走る力などでした。
当たりの強さがあれば良い。
しかし、それだけを追求するわけではない。
それよりも、今いる選手が持っている特徴を、どうサッカーへ使うのか。
中長距離を走る力を、どこで使うのか。
器用さを、どの場面で使うのか。
どのような状況で、どのような攻防を選ぶのか。
そう考えると、オシム監督の「考えて走るサッカー」と、日本人選手に対する評価がつながってきます。
戦術の日本化 この記事でいう「戦術の日本化」とは、欧州の戦術をそのままコピーすることではなく、日本人選手が実際に持っている特徴を見極め、それを世界と戦うための方法へ変えることです。
なお、「戦術の日本化」という表現は、ここではオシム監督の直接的な発言としてではなく、私自身がオシム監督のチーム作りを整理するために使っています。
アジアカップ2007|猛暑の中で見せたポゼッションへの変化
オシム監督は、ただカウンターだけの監督ではありません。
戦う環境や相手に応じて、戦い方を変える引き出しを持っていました。
その象徴として、自分の印象に残っているのが2007年のアジアカップです。
大会は東南アジアで開催され、猛暑の中での試合が続きました。
常に全力で走り続けるだけでは、選手の体力が持ちません。
日本代表はボールを保持する時間を増やし、相手を動かしながら試合を進める場面も見せました。
カウンター。
ポゼッション。
サイドチェンジ。
前線の起点。
試合を見るたびに、オシム監督が日本代表へさまざまなサッカーの方法を見せているように感じました。
まるで、戦術を知らない日本人に対して、知り得る限りのサッカーを一つずつ見せているようでした。
これは、当時の私自身が試合を見て感じたことです。
結果は4位、それでも可能性は見えた
アジアカップ2007の結果は4位でした。
優勝を求めるなら、満足できる結果ではありません。
中盤でカウンターの速度が落ちたり、決定機を外したり、勝ち切れない試合もありました。
しかし、当時の自分には、日本代表の未来が見える大会でもありました。
ボールを持って相手を押し込む。
相手を動かす。
ただ、その支配をゴールへ結びつける最後の決断や、ゴール前の迫力が足りない。
このあたりは、本当に日本代表らしい課題だったと思います。
- ボール保持では優位に立てる場面があった
- 中盤の選手が連続して攻撃へ関わった
- カウンター時に判断が遅れる場面があった
- 決定機を決め切れない試合があった
- 戦術の方向性は見えたが、完成には時間が必要だった
オシム監督の基本システム|配置より選手の判断を見る
オシム監督の日本代表では、4-4-2や4-2-3-1のような形が使われました。
ただし、オシム監督を見る時に大切なのは、システム表だけではありません。
選手がその中でどう動くのか。
誰が追い越すのか。
誰が下がるのか。
誰がサイドを埋めるのか。
誰がボールを奪った後に前へ出るのか。
この動きを見る必要があります。
システムの数字や可変の詳しい考え方については、専門記事で解説しています。
▶ サッカーのフォーメーションと各システムの詳しい解説はこちら
ラインコントロールと日本代表の未完成感
記憶の限りで申し訳ないのですが、オシム監督は日本代表にラインコントロールの重要性も伝えようとしていた印象があります。
ただ、当時の日本代表が高いラインを保ち、意図的に相手をオフサイドへ追い込む守備を完全に使いこなしていたかというと、そこまでは至っていなかったように思います。
手元で確認できるアジアカップの印象でも、オシム監督のもとで日本代表がラインコントロールを明確な武器として完成させていたとは言いにくいです。
ここは、オシム監督本人が明言した事実としてではなく、当時の試合を見た私自身の記憶と分析です。
もしこの時期に、日本代表がオシム監督のもとでラインコントロールや守備ラインの押し上げを本格的に身につけていたら、日本代表の戦術はどこまで伸びていたのでしょうか。
そう考えると、今でも悔やまれます。
最終ラインの選手が連動して前後へ動き、相手が使えるスペースを制限したり、オフサイドを取ったりする守備の考え方です。
オシム監督はどこで何を作ったのか|戦術の変遷
監督シリーズとして見るなら、オシム監督も「いつ、どこで、何を作ったのか」を整理すると分かりやすくなります。
オシム監督の戦術は、突然日本で生まれたものではありません。
旧ユーゴスラビア代表、欧州クラブ、ジェフ千葉、日本代表という長い監督生活の中で、異なる選手や環境を率いてきました。
| 時代 | チーム | 主な位置づけ |
|---|---|---|
| 1986–1992年 | 旧ユーゴスラビア代表 | 多様な背景と個性を持つ選手たちを率い、1990年W杯ベスト8 |
| 1990年代 | 欧州クラブ | パルチザン、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツなどを指揮 |
| 2003–2006年 | ジェフ千葉 | 選手が考え、走り、複数の役割を担うチームを構築 |
| 2006–2007年 | 日本代表 | 日本人選手の特徴を見ながら、状況判断を伴うサッカーを作ろうとした |
オシム監督の名言と哲学|答えではなく問いを与える
オシム監督は、戦術だけでなく言葉でも記憶される監督です。
ただし、オシム監督の言葉は、単なる名言集として消費するにはもったいないものです。
その多くは、サッカーを通じて人間や社会を見ているような深さがありました。
オシム監督は、選手にすべての答えを与えるのではなく、問いを投げかける監督だったと考えています。
なぜそこに立つのか。
なぜそのパスを選んだのか。
なぜ走らなかったのか。
なぜゴールへ向かわなかったのか。
その問いによって、選手自身に考えさせる。
哲学 オシム監督の本質は、選手に答えを覚えさせることではなく、変化する状況の中で自分自身で答えを選べるようにすることだったのではないでしょうか。
映像で振り返るオシム監督の言葉と日本代表
オシム監督の魅力は、文章だけでは伝わりにくい部分もあります。
表情。
間の取り方。
言葉の選び方。
選手や日本サッカーを見るまなざし。
そうしたものを振り返るには、映像で見ることにも意味があります。
今あらためて見ると、オシム監督の言葉には、単なる戦術論を超えた深さがあります。
日本人選手に何が足りないのか。
逆に、どのような特徴を持っているのか。
そして、世界と戦うために何を考えなければならないのか。
オシム監督は、その問いを日本サッカーに残した監督だったと思います。
なぜオシム監督の日本代表は未完に終わったのか
オシム監督の日本代表は、完成を見る前に終わってしまいました。
2007年11月、オシム監督は脳梗塞で倒れ、日本代表監督を退任することになります。
この出来事は、日本サッカーにとって非常に大きな損失でした。
なぜなら、オシム監督の日本代表は、まだ完成形ではなかったからです。
むしろ、これから本格的に形になっていく途中だったと思います。
カウンターでは、奪った後に最小の手数でゴールへ向かう。
必要なら、ボールを保持して相手を動かす。
選手が複数の役割を理解する。
日本人選手の特徴を、世界と戦うための方法へ変える。
その途中で、突然時間が止まってしまいました。
だからこそ、オシム監督の日本代表には、今でも「もし続いていたら」という思いが残ります。
オシム監督から日本サッカーが学ぶべきこと
オシム監督の記事を今あらためて書き直す意味は、過去を懐かしむためだけではありません。
今の日本サッカーにも、オシム監督から考えられることはあります。
- 走る量だけでなく、どこへ、いつ、なぜ走るのかを考える
- 自分たちにない能力を嘆くだけでなく、持っている特徴をどう使うかを考える
- 体の大きさや当たりの強さだけを、サッカーの強さの基準にしない
- カウンターでは、奪った後の判断を整理する
- ポゼッションでは、ボール保持率ではなく相手をどう動かすかを見る
- 選手が複数の役割を理解することで、状況変化に対応しやすくなる
- 監督が答えを与えすぎず、選手自身が判断できるチームを作る
現在の日本代表にもつながるテーマ
今の日本代表は、オシム監督の時代よりも明らかに個人の能力が上がっています。
海外でプレーする選手も増え、世界の強豪クラブで戦う選手も増えました。
しかし、選手のレベルが上がったからこそ、次に問われるのは、その個人能力を試合の中でどうつなげるかです。
攻撃で前に出るのか。
ボールを持って落ち着かせるのか。
奪った瞬間に縦へ行くのか。
無理なら戻して作り直すのか。
こうした判断を、ピッチ上の選手が共有できるかどうか。
そこに、オシム監督が残した問題意識は今でもつながっていると思います。
オシム監督と他の日本代表監督の違い
日本代表の戦術史の中で、オシム監督はかなり特別な位置にいます。
ここでは、各監督のすべてを一言で断定するのではなく、このサイトで扱ってきた戦術史上の位置づけとして整理します。
| 監督 | このサイトでの主な位置づけ |
|---|---|
| フィリップ・トルシエ | フラット3など、明確なシステムと組織戦術を日本代表へ持ち込んだ監督 |
| ジーコ | 選手の自主性や個人能力を重視した監督 |
| イビチャ・オシム | 選手自身に状況を見て判断させ、日本人選手が持つ特徴を戦術へ活かそうとした監督 |
| 岡田武史 | 理想と現実の間で日本人らしい戦い方を模索し、W杯本番では現実的な守備へ転換した監督 |
| アルベルト・ザッケローニ | エリア管理やライン整理の考え方を持ち、日本では4-2-3-1を軸に攻撃的なチームを作った監督 |
| ヴァヒド・ハリルホジッチ | 相手別の戦術変更、デュエル、縦に速い攻撃を求めた監督 |
なぜオシム監督に惹かれたのか
ここからは、私自身の感想です。
オシム監督には、強く惹かれるものがありました。
それは、単に勝ったからでも、分かりやすいスター選手を並べたからでもありません。
当時の日本代表を見ていて、久しぶりに、
「日本代表の戦術が前へ進むかもしれない」
と感じさせてくれた監督だったからです。
試合を見るたびに、何か新しいものを見せられているような感覚がありました。
カウンター。
ポゼッション。
ポリバレント。
考えて走る。
日本人選手が持っている特徴を、試合の中でどう使うのか。
それまで別々に見えていたものが、オシム監督の中では一本の線でつながっているように見えました。
だからこそ、あの日本代表が途中で終わってしまったことは、本当に残念でした。
もしオシム監督がもう少し長く日本代表を率いていたら、日本代表の戦術史は違うものになっていたかもしれません。
もちろん、それだけで簡単に世界で勝てたとは思いません。
それでも、日本人がどう戦うべきかという問いに対して、本質的な答えを探していた監督だったと思います。
まとめ|オシム監督は日本代表に何を残したのか
イビチャ・オシム監督は、日本代表で長く指揮を執った監督ではありません。
日本代表で完成形を作れたわけでもありません。
しかし、日本サッカーに残した問いは非常に大きいものでした。
日本人選手は、世界とどう戦うべきなのか。
体が小さいなら、どう戦うのか。
器用さをどう使うのか。
中長距離を走る力を、どの場面で使うのか。
当たりの強さだけを追求する必要があるのか。
どのような状況では、どのような攻防を選ぶのか。
走るとは何か。
考えるとは何か。
選手自身が判断するとはどういうことなのか。
オシム監督は、その答えをすべて完成させたわけではありません。
しかし、日本サッカーが考えるべき問いを残しました。
- オシム監督はボスニア・ヘルツェゴビナ出身の名将です。
- 旧ユーゴスラビア代表を1990年W杯ベスト8へ導きました。
- ジェフ千葉では選手が考え、判断し、走るチームを作りました。
- 2005年にはナビスコカップ優勝へ導きました。
- 2006年に日本代表監督へ就任しました。
- 日本人について、体の小ささ、器用さ、中長距離を走る力などに注目していたことが以前の記事にも残されています。
- 当たりの強さだけを追求するのではなく、選手が持っている特徴をどう使うかが重要でした。
- カウンター、ポゼッション、ポリバレントなど、一つの戦術だけでは説明できない監督でした。
- 2007年に脳梗塞で倒れ、日本代表での挑戦は未完に終わりました。
- 日本サッカーに「状況を見て、考え、判断して走る」という大きな問いを残した監督です。
オシム監督のサッカーは、完成形を見られなかったからこそ、今でも強く記憶に残っています。
あのまま続いていたら、日本代表はどこまで進化していたのか。
日本人選手が持つ特徴を活かした戦術は、どこまで世界に通用したのか。
その答えは、もう分かりません。
しかし、オシム監督が残した「考えて走るサッカー」は、今の日本代表にも、これからの日本サッカーにも考える価値のある思想だと思います。
だからこそ、イビチャ・オシム監督は、日本代表の戦術史において忘れてはいけない名将なのです。